喫茶越前で使用しているお米:明和町下御糸産のコシヒカリ

お店で使い始めたお米は
「かけちから(懸税)の発祥の地」のそばで
収穫されたお米です。

三重県は北陸と並んでコシヒカリの産地としては
有名と言われてます。

特に
肥沃な土地
櫛田川水系の豊かな水
温暖な気候

全てが米作りに最適な環境に恵まれた
地元の明和町下御糸産のコシヒカリを
使用しています。

一粒一粒がしっかりとして
旨味と甘味のバランスがとてもよく
炊きたてはもちろんですが

冷めても甘みがあってとても美味しいので
おにぎりにもオススメです。

 

★明治時代の三重県の米づくり

明治時代の三重県の米づくりについて
少し調べてみました (˶ᵔ ᵕ ᵔ˶)

日本人にとって
「農作物」と言えば
やはり「米」ですよね。

日本人は弥生時代から
米づくりに懸命に取り組み
水田の開発や栽培方法の工夫を
行ってきました。

三重県は
江戸時代や明治時代に
稲品種の交換と改良の舞台となりました。

当時の人々は、
「伊勢講」を村で組織され
盛んに伊勢参宮を行うことで
神札とともにたくさんの土産を
もって村に帰りました。

その土産の一つ
他地域で育てられた籾種を持ち帰り
品種改良が進み全国に普及していきました。

<主な稲品種とその改良者>

★関取米
三重郡菰野村の佐々木惣吉が発見・改良。

風に強く、収穫量が多いことから
「雲龍米」と名付けられましたが、
後に「関取米」と改名されました。

★竹成米
三重郡竹成村の松岡直右衛門が改良。

「倒十(こけじゅう)」とも呼ばれ、
肥料を施して倒れるほど
実ることから名付けられました。

★須賀一本
河曲郡須賀村の戸田古小兵衛
作右衛門父子が発明・改良。

嘉永六年(一八五三)に発見され、
「須賀一本」と名付けられました。

★伊勢錦
多気郡朝柄村の岡山友清(定七)が
幕末期に改良・発見。

明治・大正期に広く普及しました。

<内国勧業博覧会での紹介>

第二回内国勧業博覧会(1881年)
東京の上野公園で開催され

このときの品種の籾種
摺米や稲株が陳列されました。

栽培方法の記述:
「須賀一本」の出品解説書には、
栽培方法が詳しく記述されています。

その他に出品された籾種

旧忍米・五佐奈糯

第三回内国勧業博覧会(1890年)では
「一志米」も出品されました。

 

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